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BRUCE ROBINSON ROOM



キリング・フィールド (The Killing Fields)
(リージョン2、字幕:日本語、英語)


1973年8月、カンボジア。N.Y.タイムスの特派員Sydney Schanbergは助手Dith Pranと共に米軍に爆撃されたニェクロン市を取材する。1975年、クメール・ルージュと政府軍の戦闘は激しさを増し、クメール・ルージュのプノンペン陥落が近付いていた。悩んだ挙句PranはSydneyと共にカンボジアに残る事を決める。アメリカ人と関係者達は国外退去の為大使館に集まり、Sydneyによって退去リストに載せられたPranの家族は米軍のヘリで脱出。
遂にクメール・ルージュがプノンペンへやって来た。歓迎する市民達。戦争は終わったかと思われた。病院を訪れたSydney達が見たのは、血まみれの負傷者達と助けようとする医師や看護士達だった。病院を去ろうとしたSydney達がクメール・ルージュに捕らえられるが、Pranの必死の懇願が通じて解放される。何とかフランス大使館に逃れたSydney達。旧政権の関係者が大使館から連行され、大使館に留まったカンボジア人も退去を余儀なくされる。全員のパスポートで国籍を確認する、というのだ。仲間のカメラマンのアイディアによって、イギリス人のパスポートにPranの写真を貼って偽造する事になった。大使館中を探し回ってフィルムや現像の為の準備を整え写真をパスポートに貼り付けた。しかし、大使館側がチェックした時には写真が真っ黒になっていた。
Pranは大使館を去った。Sydney達は帰国。SydneyはPranを探す為手を尽くし、先にN.Y.に渡ったPranの家族に逢う。Pranはクメール・ルージュに捕らえられ、他の市民達と共に過酷な強制労働を強いられていた。集会で知識人達が自らの過去を告白すると、彼らは処刑される。Pranは何も知らないふりをして難を逃れる。生き延びる為に牛の生き血を吸った所を捕らえられたPranは拷問を受けたものの処刑を免れ、かつて出会った兵士で今はクメールルージュの一員となった少年に助けられる。田植えの後辺りの様子を伺ったPranは、脱走を実行。泥水を這い、ジャングルを走り、無数の死体と骨が転がった水辺を歩き続けた。Pranが逃げていた頃、Sydneyはピューリッツァ賞を受賞。授賞式の場でアメリカ政府を痛烈に批判、自分がPranをカンボジアに引き留めたと再び後悔する。
疲れて眠ってしまったPranは別のクメール・ルージュに見つかり、捕らえられてある幹部の世話係となる。夜ラジオを聞こうとした所を幹部に見つかって、知識人だとばれてしまう。自らも外国語を話す幹部はPranに自分の息子を託そうとする。幹部は殺され、脱出用の地図を手に入れたPranは幹部の子供と仲間を連れて脱走。ジャングルの中で仲間と二手に分かれて逃げるが、途中同行した仲間が地雷を踏んで即死、背負われていた子供も息絶える。子供を火葬したPranは1人山を越え、タイの赤十字のキャンプを見つけた。脱出は成功したのだ。
吉報はSydneyにもたらされ、赤十字キャンプでSydneyはPranと再会。二人は抱き合って喜んだ…。



Sydney SchanbergとDith Pranは実在の人物であり、映画で描かれているカンボジアの国内事情は事実に基づいています。しかし、SydneyとPranの「友情」が本当にこの映画の通りだったのか、という点については、彼等に逢って取材したBruce様は"SMOKING IN BED"(Alistair Owen著)の中で、「クメール・ルージュのプノンペン侵攻の前に友情が成立していたとは思えない」と語っています。

Bruce様曰く「この事柄について俺が学んだ事の中の90%は映画に反映されなかった、でも物を書くにはそれを理解していなければならない」との事。映画はあくまでも映画ですしね。

デックスさんが発売したDVD(2枚組)には英語字幕がないのが非常に残念です。こういう作品だからこそ、英語字幕をしっかり付けて頂きたいものです。